1972年のジョン・レノンに倣い、2020年のコロナ禍における自分とその周辺の暮らし、そこにある不安と希望を15分の幻想的フォーク・オデュッセイアに落とし込んだ「Sometime In Tokyo City」。この曲が発表されたのが<緊急事態宣言>が東京に出された1ヶ月後の5月。絶賛を持って受け入れられたサニーデイ・サービスの最新作『いいね!』のリリースから約2ヶ月。しかしこの間に全世界はコロナの波に飲み込まれ、我々の暮らしは一変してしまった。曽我部自身の生活や想い、そして彼が暮らす街の情景がどのように変わり、また変わらなかったのか。そんなことたちを綴ったこの曲はコロナ禍の停滞した気分に鮮烈な風を送った。
そしてその夏にリリースされたふたつの配信シングル。夏の心象風景をシティ感溢れるダンスミュージックに昇華した「永久ミント機関」。2020年8月15日の終戦の日に制作されたトラップ以降のビート表現にメロウな歌が乗る「戦争反対音頭」。一見バラバラに思えるこれらの曲はしかし、「あらゆる音楽性や批評対象をポップスとして鳴らすべき」という彼特有の指向の際立った例でもあった。果たしてこれらの曲がアルバムとしてどのような帰結を見せるのか、否が応にも期待は高まった。
そして完成した『Loveless Love』という14の楽曲からなるかたまり。前述の先行シングル曲も収められたが、それらの延長線上にあるとは言い難い。まるで時代を映したかのような渾沌がざわめき、その奥にはシリアスな音楽のみが持つクラシカルな輝きがのぞく。もはやジャンル的な括りは不可能な異形のポップ「Cello Song」から、哀しみの先の虚無的場所で鳴っているような「ハートブレイク」まで。曽我部がこだわり続けるあくまでも「良い曲を書く」という絶対命題を外すことなく緻密に編まれた曲たち。大作ではあるが実験性には傾かない。
のべ3年以上にわたる制作期間の中で、いくつもの曲が作られあらゆる方向性が試され、そして壊されていった。その中で自然と音楽性やコンセプチュアルな縛りから自由になり、「個」がゆっくりとあらわになっていった終着点にこの『Loveless Love』は存在する。
女優でありシンガーである三浦透子に提供された「ブルーハワイ」や、Eテレ<シャキーン!>のために作られ、番組内では曽我部が様々な屋外へ出向きライブで歌うという演出で話題を呼んだ「どっか」などのアコースティックな側面。対して最後の宇宙(?)旅行というSF的舞台で愛を希求する「Voyage」は4つ打ちのキックが支配する曽我部の愛するハウスミュージックのフォーマットで歌われる。「冬のドライブ」における無国籍なビートやメロディは新鮮な風景を描き出し、作家・桜井鈴茂が作詞し、カーネーションの直枝政広と平賀さち枝が参加した「Yeah Yeah」はフューチュアリスティックな都市型ニューソウルだ。
あらゆる音楽性を往来しながらも、どの曲もこれまでの曽我部の手癖やアベレージを大きく超えたレベルにある。そしてそれらすべての楽曲を繋ぐ曽我部恵一のボーカル。エモーショナルでシルキーな唯一無二の歌声が、散らばった点を線で結び、無限の夜空に解き放つ。 それはあたかも旅立つ一羽の鳥のように孤独で美しい。
『Loveless Love』は演奏・録音からミックスまで、大半の部分が曽我部一人の手で行われた。アルバムを象徴する官能的なジャケットは新進気鋭の画家・榎本耕一によるもの。アルバムの隅々まで独自の美学がみなぎる傑作が誕生した。